心理的所有感
心理的所有感(psychological ownership)について考える前に、まず、所有とは何でしょうか?
私たちの所有のイメージは、通常、法的な所有の概念に近いと思います。法的な所有とは所有権です。この所有権は、不動産や動産など物に対する全面的な支配権をいいます。所有者は、自分の所有物を自由に使用・収益・処分することができます(民法206条)。
ある人が他の人に対して何らかの給付を請求しうる権利に過ぎない債権と比べると、所有権(物権)は、すべての人に対して主張できる絶対性と排他性を有しており、資本主義社会の私有財産制の基礎となる権利といえます。
もっとも、企業のバランスシート(貸借対照表)では、物権と債権については、明示的に法的な観点から区別されることなく一括りで資産とされています。よって、企業は、物権だけでなく債権についても所有感を持っているといえます。
さて、心理的所有感とは、このような法的な所有ではなく、あくまでも個人の心の中での対象に対する所有の感覚をいいます。マーケティングの世界では、この心理的所有感が注目されているようです。
例えば、私は、出社前に毎朝カフェに寄って勉強をする習慣があり、いつも座る席が決まっています。また、他の常連客もいつも大体同じ席に座っています。
ところが、たまに飛び込みの新入りが入ってきて、いつもの自分の席に座っていると、何とも切ない気持ちになります。実際には、座席を所有できないにも関わらず、心理的所有感を持ってしまっているのです。
行動経済学では、自分の持っているものに実際より高い価値を感じて、ものや状態を手放したくない心理を「保有効果」といいますが、これに近い状況です。
この「保有効果」は、保有しているものを失うことを「損」と感じさせます。また、この「損」は、なかったものを得る「得」よりも、心理的インパクトが大きいことが分かっています。この人間の損失回避の特性をプロスペクト理論といいます。
このプロスペクト理論によると、例えば、1万円を棚ぼたでゲットしたときの嬉しさを「1」とすると、1万円なくしたときの悲しみは「2.25」に相当します。すなわち「損」は「得」の2.25倍重く感じるのです。
おそらく、原始時代などにおいて獲物を失って食べれなくなることは生死に関わる大問題だったのでしょう。その影響が現代においても本能として残ったと考えられます。
さて、エンターテイメントにおいて、一昔前は、音楽はCD、映画はDVDを購入して物的に所有していましたが、サブスクリプションとして、音楽は聴き放題で映画も見放題となっています。
物的に所有していれば、心理的所有感も強くなりますが、サブスクリプションの場合はどうでしょうか?
この点、マーケティングジャーナルの權氏の論文「デジタル環境における心理的所有感の影響」によると、音楽配信サービスに対して自分の費やした時間などの「自己投資」や、自分のライブラリーにある音楽を自在に扱えるなどの「制御欲求」が高い場合、心理的所有感も高いことが示されています。
そして、無料版の音楽配信サービスへの心理的所有感が高い人は、有料サービスへのスイッチングも高くなることが示されています。
今後、物的所有からサブスクリプションへの大きな環境変化の中で、マーケティングを効果的に行っていくためには、心理的所有感を高める施策が重要となります。
参考文献
阿部誠「サクッとわかるビジネス教養 行動経済学」